「Essence of Vedanta Vol,2 」
セーヴァー −前編−
今回は、ヴェーダーンタ、サンスクリット講師、そしてパーニニ文法家のMedha Chaitanya先生による「セーヴァー」についてのお話を皆さんにシェア致します。
日本のみならず、本場インドやその他の国でも大活躍の先生。伝統的な学びをしておられたからゆえの様々な切り口からのお話は、ヴェーダーンタの実践的な教えをわかりやすく教えてくださいます。
前編、後編に分け、お届け致します。
―――――――――――――――
セーヴァー(सेवा [sevā])
セーヴァーというサンスクリット語の言葉は、ヴェーダが教える伝統的価値観をよく表している言葉であり、恩師であるプージヤ・スワミジが、私達全ての人に話す時にいつも強調されていた言葉です。
私自身も、ヴェーダーンタに出会ってから毎日、私のすること、書くこと、話すこと、考えることの全てが、全てのものへのセーヴァーでありますように、と考えながら生きています。
ヴェーダーンタが教えるヴィジョンである、「自分と世界の本質について」に関わるトピックであるゆえに、以下とても長文になります。また、本来は直接話をするべきトピックなので、文面ではどうしても分かりにくくなると思います。きちんと理解したい人には世界中どこにでもお話に伺いますので、いつでもご連絡ください。
―――――――――――――――
消費者から貢献者への成長
―――――――――――――――
セーヴァーとは、与えられた状況の中で、貢献者として行動することです。
人間としての精神的な成長は、貢献者として行動することによってのみでしか得られません。
どのような状況においても平安で幸せであり続けていられるという、物理的だけでなく精神的に豊かな人生を送るためには、精神的な成長が必要とされます。さらに、人間として生まれて来た意味を完全に満たしてくれる自己の本質の知識を得るための準備が整えるためにも、精神的な成長は、最も必要とされる要因です。特にヴェーダーンタ(ウパニシャッド)で教えられている知識は、それを聴く人の精神的な成長が足りなければ、単なる小難しい哲学のような情報にしか聞こえず、自分のこととして理解されることはありません。
ゆえに、ヴェーダーンタを学ぶ人はもちろん、全ての人にとって、人生の出来るだけ早いうちから、セーヴァーという言葉が教える貢献者として行動する意味について知っておくことは、自分の人生を精神的に豊かな人生にする上で、とても重要なことです。
セーヴァーの姿勢とは、自分を取り巻く状況から、より利益を得ようとする消費者的な姿勢から、貢献者的な姿勢に変え、自分に出来ることは何かを考え、一歩踏み出して行動することです。
自分に出来ることは何かを考えるとき、基準となるのは、自分が相手の立場なら、と想像する、相手を思いやる気持ちです。
人間の心というものは、他の痛みを感じ取れるように出来ています。相手が人間であれ動植物であれ、相手の痛みを思い計り、痛みを取り除き、幸せを増やすのに役立つ行動を選びとることが、自分のすべきことであり、貢献者になるということです。
しかし、相手を思いやる気持ちは、自分の都合や好き嫌いといった条件によって阻害され、見えなくなってしまうことは往々にしてあります。ゆえに、状況を判断する目が、自分の都合や好き嫌いに染められていないか、意識する必要があります。これが、貢献者へと成長を飛べるための第一歩です。
自分がどのように行動すべきか分からない、という人は多いですが、それでも、他人がどのように行動すべきかについては、はっきり分かっているものです。
自分が他人にして欲しいことが、自分のすべきことであり、自分が他人にされたくないことは、自分がすべきでないことです。これくらいに当たり前に、全ての生き物に共通する法則を、サーマンニャ・ダルマ(普遍的秩序)と言います。この普遍的な価値観を先天的に察することの出来る心を持っているのが、人間の心です。
人間なら誰でも、今ここで何をすべきかについて、だいたいのことは先天的に分かっている筈なのです。しかし、自分の好き嫌いによって心に曇りができて、都合よく、自分のするべきことが何なのかが分からなくなるのです。
普遍的な価値観に沿った行為を、ダルマに沿った行為と呼びます。人間の自由意志が、ダルマに沿った行為を選択する為に使われた場合、自由意志が人間らしく、賢明にうまく使われたことになります。
現代の社会では、より多くを消費することがより幸せなのだという概念が広く受け入れられていますが、ヴェーダの価値観では常に、貢献者へと成長を遂げることを推奨しています。なぜなら、消費者から貢献者へ変容することは、人間として本当の成長することであり、それは本当の豊かさをもたらすからです。
貢献者として世界に参加することを選ぶことによって得られる精神的な成長と精神的な豊かさは、ほんとうに生きていて良かったと思える人生を送るために必要であり、また、人生の本当の意味を完全に満たすためにも必要になります。ゆえに、自分が貢献者になることを選ぶこと、つまりセーヴァーの姿勢で世界に参加することは、ヴェーダの価値観のなかで強調されているのです。
―――――――――――――――
小さな自分という自己認識
―――――――――――――――
自分の本質を知らなければ、この身体この心でこの世界を認識している経験が絶対となります。ヴェーダーンタの教えによって、自分の本質は完全な存在であると聞かされても、自分の心が精神的な成長を遂げていなければ、ヴェーダーンタの教えはただの難しい哲学のようなお話にしか聞こえず、今ここにいる自分のこととして理解できません。
この広大な世界の中で、ほぼ見えないくらいに微小な点に過ぎないこの身体とこの心で自分を認識しているとき、自分という存在はあまりにも儚く無力な存在です。ゆえに、経験によって得られる満足感に完全に依存し、思い通りにいかなければ、当然の結果として、嘆き悲しむことになります。これが普通の人の自分と世界の認識です。
このような自己認識と世界の認識を持っているから、自分が世界と関わるときの態度が、消費者的な態度になってしまうのです。この世界の中で、とてつもなく小さな存在として自分を認識し、この世界から出来るだけ多くのお情けとおこぼれを頂戴して、安心を得て幸せになろうとし続け、それに終わりはありません。自分をこの身体この心で認識している以上、完全に満たされることが無いからです。
人間は誰でも、生まれたときは完全な消費者です。空気と食べ物を必要とし、また、周りの人からのお世話も必要としています。生き続けている間はずっと、このように世界からさまざまなものを受け取らなければなりませんから、消費者の側面を持って世界と関わり続けることは避けられません。
ヴェーダは、消費することを最小限に抑え、貢献を最大限にすることを、人間としての成長として教えています。それと正反対の価値観を教えるのが、現代の消費経済社会です。しかし、このような社会は、物理的にも経済的にも、そして倫理的にも当然の行き詰まりを迎えています。ゆえに、現代に生きる人々には、貢献者になろうとすることが人間としての精神的な成長と豊かさであると教えるヴェーダの人生観を、是非学んでいただきたいと願うばかりです。
人間は、生存本能が備わっているだけでなく、自分とは本質的にとても小さな存在だと認識し、それをどうにかしたいと根本的に切望しているので、放っておけば消費するばかりになってしまう傾向にあります。ゆえに、貢献者へと成長するためには、自由意思を使って、貢献者となることを選び取らなければなりません。人間に与えられている自由意志とは、この為にあるのです。そして人間の知性とは、自分は何をするべきかについて、正しく判断するために与えられているのです。
ヴェーダの価値観は、盲目的に従うだけの思考停止を導くものではなく、人間としての知性の力を最大限に使うことを推奨します。また、ヴェーダーンタの教える真実も、信じるものではなく、理解する為にあるのです。ゆえに、ヴェーダでは、人間を人間たらしめている、人間の最大の財産である知性(メーダー、ブッディ)が、人間として生まれて手に入れられる幸福の追求に欠かせないものとして教えています。これが、ヴェーダという聖典が、他の宗教の聖典とは根本的に異なる点です。動植物は人間の消費の為だと神が仰ったのだから、盲目的に何も考えずに使い放題つかえばいいよ、というのではなく、神は人間に知性を与えたのだから、ちゃんと使ってね、ということです。
貢献者になることは良いことなのだと感じられる経験は、子供の頃から周りの大人が教えてあげることが出来ます。子供が何かを成し遂げたとき、たとえそれが小さなことでも、子供の目を見て、心から褒めながら、あなたのした事は私を幸せにしてくれた、あなたの存在は私の幸福に貢献してくれている、としっかり伝わるようにコミュニケーションをとれば、肯定的な自己認識と、貢献者になれるという自信を育てることに繋がります。
―――――――――――――――
大きな自分という自己認識
―――――――――――――――
多くの人は、「貢献しようにも、お金にも才能にも恵まれていない私なんて無理!」と言います。この「私なんて」という態度は特に日本文化に顕著かも知れません。セーヴァーを頼まれた場合、断る理由として、「私になんて無理です」というセリフがよく聞かれます。
たしかに、貢献者になるには、自分が状況よりも大きな存在でなければなりません。しかし、貢献者になるためには、有り余るほどのお金や才能は必要としません。自分の自己認識が、目の前の状況よりも大きければ、それで良いのです。
与えられた状況を客観的に見て、自分に何が出来るかを考え、それを行動に移すことが貢献するということです。今目の前にある状況が与えられているのと同様、自分が持っているものも全て、与えられています。自分の手足も時間も、自分を育ててくれた人々も、自分の頑張れる力も、全ては自分に持たされ、与えられ、目の前にある状況の一部を構成しています。この事実に気づいて、全ては自分が成長するために与えられているとして、状況を客観的に判断すれば、おのずと、この状況の中で自分がどのように貢献者として参加するのが適切なのかが見えてきます。
人間や動植物といった全ての生きるものの、痛みを減らし、幸福を増やすために、今目の前にある状況の中で自分が選択すべき行動はなにか?人間としての思考能力は、このようなことを考えるためにあります。
自分に出来ることを発見しているとき、自己認識における自分は、状況よりも大きな存在です。
―――――――――――――――
クル、セーヴァーム
―――――――――――――――
多くの人々が互いを思いやり合い、それを行動に移すことを全国的なレベルで可能にするために、プージヤ・スワミジは、セーヴァーという言葉を掲げた「AIM for Seva (All India Movement for SEVA、エイム・フォー・セーヴァー)」という活動を発足させました。僻地に住む子供たちが安全に通学できるよう、インド全国に100以上の寄宿舎が建てられ、スワミジのお弟子さんたちが運営や指導に関わっておられます。また、幼稚園から大学までの文化的で質の高い教育機関や、医療機関も提供されています。
スワミジはヴェーダーンタのヴィジョンにもとづいた曲を多く作詞作曲されています。その中で、AIM for Sevaのテーマソングとして書かれた曲の繰り返しの部分では、「कुरु सेवां त्वं कुरु सेवाम्... (セーヴァーをしなさい)」というダイレクトなメッセージが私達に教えられています。
助けを必要としている状況に向かって、自ら歩み寄り、手を差し伸べる。
実際にどのような活動をされているのか、皆がどのような姿勢で行動しているのか、是非インドに行って見て来てください、そして、是非この活動に参加してみてください。
後編へ続く
0 件のコメント:
コメントを投稿